網走監獄と愛車…①
先月の道内出張で唯一、プライベートの時間を使い訪れたのが
凶悪犯でも恐れられた網走監獄!

↑11月10日は雨だったのですが網走監獄に着いた時は
止んでおりました。(ちなみにLS600h “version C・I package”は泥だらけ…)
ここ網走監獄では結構撮ってきたので説明文は短くして二部に分けて
ご紹介したいと思いますので興味のある方はご覧下さい。

↑まず駐車場に停めてこの鏡橋を渡らなければ網走監獄に
入る事はできません。(実際の網走刑務所も網走川を渡らなければならない)
鏡橋という名は出所後「流れる清流を鏡として、我が身を見つめ、
自ら襟を正し目的の岸に渡るべし」
…っというところから名前が付けられたそうです。

↑偶然にも前日(11月9日)に鏡橋が架け替えられたばかりでした。

↑さて入館料1,080円を支払い、いざ!網走監獄に入ります。

↑正門の前で掃除しているのは何回も各刑務所を脱獄した
五寸釘寅吉。やはり昔の人ですね…とても小さかったですよ。
この五寸釘寅吉は本名:西川寅吉という名なのですが…では、
何故「五寸釘寅吉」と呼ばれる様になったのか?

↑マネキンの横に説明文が書いてありましたが小さくて読めませんね。
簡単に説明すると…脱獄して警察官に追われている時に
路上で板についた五寸釘を踏み抜いてしまい、そのまま3里(12㎞)も
逃走してしまったそうです。結局、力尽きて捕まりまりしたが
この時以来「五寸釘」の異名がつけられみたいです。

↑ちょうど五寸釘寅吉の後ろにあるレンガで造られた正門にある
待合室です。ここでは面会に来た家族が申し込みをして
待ってから許可が下りれば面会室に通されたみたいですよ。

↑待合室の反対側には看守が面会来た家族を受け付ける
部屋があり、この赤レンガの正門を通らなければ一般の方は
網走監獄の中には入れません。(刑務所ですから当たり前ですよね)

↑こちらが面会室。

↑外から撮った様子。

↑中から撮るとこんな感じですね。
面会室にも二種類あり、こちらは間仕切りがなく会話ができる
獄中での態度が優秀な受刑者のみ使用できたそうです。
赤ちゃんをおんぶして面会に来ている奥さんがリアル…。

↑こちらがもうひとつの面会室。
獄中での態度が悪い(?)受刑者は、こちらを使用してたと思います。

↑面会者側から見れば刑務所の面会室らしく金網越しにしか
話せない様になっており、こちらの方が刑務所らしいかな。

↑刑務所にしては豪華な部屋が典獄室。
現在の所長室と同じ様なものでしょう。

↑この汚い建物は休泊所。
受刑者が塀の外に出て日帰りできない作業をする場合は
休泊所と呼ばれた仮小屋で寝泊まりしてみたみたい。

↑枕にしているのは長い丸太一本で朝は、この丸太を叩き
一斉に起こされたみたいですよ。

↑もうひとつの休泊所。
この休泊所は動く監獄と呼ばれていて札幌と網走を結ぶ中央道路の
開削にあたり延べ1,000人以上の受刑者が投入され工事の進行に伴い、
次々と休泊所を建てては移動して行った事から動く監獄と呼ばれ
タコ部屋とも呼ばれていたらしいです…。
その休泊所では画像の様に食事する時は立って食べていたみたい…。

↑当然看守がいるので落ち着いて食事なんてできないでしょう。

↑ちょっと最近に戻ってきて平成3年まで実際に使用されていた
釧路地方裁判所網走支部法廷がこちら。

↑昭和27年から平成3年まで使用されていたものを配置し、
広さ高さを元通りに復原し法廷内部の机や椅子、照明器具、
カーテン等は実際に使用されていたものを展示しています。

↑最後にちょっと面白い画像で今回の記事は終わりにしましょう。
こちらは仮監置室(自分の裁判まで待たされた部屋)で待っている
右の方に注目してください。

↑いかにも悪そうなマネキンを作ったのが面白くないですか?
しかもッ!妙にリアル!!今にもしゃべり出しそうですね。
ちょっと…ふて腐れている様にも見えます。(何の罪を犯したのでしょうか?)
残念だったのはこの仮監置室施錠されており、中に入り
この悪そうなマネキンを正面から撮る事はできませんでした。
網走監獄には、たくさんのマネキンがありますが豊田 世流氏夫の
一番お気に入りがこちらのマネキンですね。(誰かをモデルにしたのだろうか?)
では網走監獄で撮った様子の第一部はここまでにしときます。
※自動更新による記事です。
※今年最後の道内出張&旅行と愛車…。~網走編~
凶悪犯でも恐れられた網走監獄!

↑11月10日は雨だったのですが網走監獄に着いた時は
止んでおりました。(ちなみにLS600h “version C・I package”は泥だらけ…)
ここ網走監獄では結構撮ってきたので説明文は短くして二部に分けて
ご紹介したいと思いますので興味のある方はご覧下さい。

↑まず駐車場に停めてこの鏡橋を渡らなければ網走監獄に
入る事はできません。(実際の網走刑務所も網走川を渡らなければならない)
鏡橋という名は出所後「流れる清流を鏡として、我が身を見つめ、
自ら襟を正し目的の岸に渡るべし」
…っというところから名前が付けられたそうです。

↑偶然にも前日(11月9日)に鏡橋が架け替えられたばかりでした。

↑さて入館料1,080円を支払い、いざ!網走監獄に入ります。

↑正門の前で掃除しているのは何回も各刑務所を脱獄した
五寸釘寅吉。やはり昔の人ですね…とても小さかったですよ。
この五寸釘寅吉は本名:西川寅吉という名なのですが…では、
何故「五寸釘寅吉」と呼ばれる様になったのか?

↑マネキンの横に説明文が書いてありましたが小さくて読めませんね。
簡単に説明すると…脱獄して警察官に追われている時に
路上で板についた五寸釘を踏み抜いてしまい、そのまま3里(12㎞)も
逃走してしまったそうです。結局、力尽きて捕まりまりしたが
この時以来「五寸釘」の異名がつけられみたいです。

↑ちょうど五寸釘寅吉の後ろにあるレンガで造られた正門にある
待合室です。ここでは面会に来た家族が申し込みをして
待ってから許可が下りれば面会室に通されたみたいですよ。

↑待合室の反対側には看守が面会来た家族を受け付ける
部屋があり、この赤レンガの正門を通らなければ一般の方は
網走監獄の中には入れません。(刑務所ですから当たり前ですよね)

↑こちらが面会室。

↑外から撮った様子。

↑中から撮るとこんな感じですね。
面会室にも二種類あり、こちらは間仕切りがなく会話ができる
獄中での態度が優秀な受刑者のみ使用できたそうです。
赤ちゃんをおんぶして面会に来ている奥さんがリアル…。

↑こちらがもうひとつの面会室。
獄中での態度が悪い(?)受刑者は、こちらを使用してたと思います。

↑面会者側から見れば刑務所の面会室らしく金網越しにしか
話せない様になっており、こちらの方が刑務所らしいかな。

↑刑務所にしては豪華な部屋が典獄室。
現在の所長室と同じ様なものでしょう。

↑この汚い建物は休泊所。
受刑者が塀の外に出て日帰りできない作業をする場合は
休泊所と呼ばれた仮小屋で寝泊まりしてみたみたい。

↑枕にしているのは長い丸太一本で朝は、この丸太を叩き
一斉に起こされたみたいですよ。

↑もうひとつの休泊所。
この休泊所は動く監獄と呼ばれていて札幌と網走を結ぶ中央道路の
開削にあたり延べ1,000人以上の受刑者が投入され工事の進行に伴い、
次々と休泊所を建てては移動して行った事から動く監獄と呼ばれ
タコ部屋とも呼ばれていたらしいです…。
その休泊所では画像の様に食事する時は立って食べていたみたい…。

↑当然看守がいるので落ち着いて食事なんてできないでしょう。

↑ちょっと最近に戻ってきて平成3年まで実際に使用されていた
釧路地方裁判所網走支部法廷がこちら。

↑昭和27年から平成3年まで使用されていたものを配置し、
広さ高さを元通りに復原し法廷内部の机や椅子、照明器具、
カーテン等は実際に使用されていたものを展示しています。

↑最後にちょっと面白い画像で今回の記事は終わりにしましょう。
こちらは仮監置室(自分の裁判まで待たされた部屋)で待っている
右の方に注目してください。

↑いかにも悪そうなマネキンを作ったのが面白くないですか?
しかもッ!妙にリアル!!今にもしゃべり出しそうですね。
ちょっと…ふて腐れている様にも見えます。(何の罪を犯したのでしょうか?)
残念だったのはこの仮監置室施錠されており、中に入り
この悪そうなマネキンを正面から撮る事はできませんでした。
網走監獄には、たくさんのマネキンがありますが豊田 世流氏夫の
一番お気に入りがこちらのマネキンですね。(誰かをモデルにしたのだろうか?)
では網走監獄で撮った様子の第一部はここまでにしときます。
※自動更新による記事です。
※今年最後の道内出張&旅行と愛車…。~網走編~

スポンサーサイト
テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術